挫折した高齢者の新たな街づくり。青森市「コンパクトシティー」構想

ビジネス・経済

JR青森駅前の大型ビル「アウガ」は、かつては色とりどりの洋服やユニークな雑貨が並んでいたテナントスペースで、若者たちでにぎわっていました。しかし、今ではその風景は消え、職員が淡々と市民に応対する窓口に変わっています。

少子高齢化時代の先駆的街づくりとされた、青森市のコンパクトシティー構想はどうして挫折したのでしょう。

商業施設「アウガ」の誤算

「アウガ」は、2001年に青森駅前第二地区第一種市街地再開発事業の一環としてオープン。当初の計画では、地下1階から4階までが商業施設、5階から8階までは図書館、男女共同参画プラザなど市の公共施設が入居する予定でした。

開業当初は、人口減少を迎える地方都市開発の先行例として高い関心を集めましたがその後は赤字経営が続き、2008年に青森市が補助金交付を決定、2015年にはビルを運営する第三セクターが債務超過に陥りました。

現在のアウガは、商業施設の営業を放棄し、公共施設を中心とするビルへと変わり、街づくりの「失敗事例」の烙印を押されています。

コンパクトシティ構想の挫折

青森市の「コンパクトシティー」構想は、徒歩で移動できる都市の中心部に住宅や商業施設、行政機関などを集積させることを目指していました。

この構想は、人口減少や少子高齢化に悩む地方自治体が、都市の効率性を高めるためのものです。
青森市は1999年にコンパクトシティー構想を「青森市都市計画マスタープラン」に盛り込みました。

当時、青森市は地方財政の急激な悪化、下水道の整備の困難さ、そして除雪の問題を抱えていて、郊外開発の抑制と都市中心部の再整備によって集住を進めることにより、行政コストを抑制し、持続可能な状況を維持しようという発想がこの構想でした。

しかし、その実行にあたっては様々な問題が起き、特に、青森駅周辺の再開発を実施したことで街は非常に綺麗になったのですが、それだけで人が集まるわけではありません。

人がその場所に行くのは「目的」があるからであり、そしてその場所に「魅力」がなければなりません。このような視点が欠けていたことが、アウガの失敗の一因とされています。

郊外開発と中心地活性化の矛盾

国の行政の縦割り問題は、各省庁がそれぞれの視点から政策を進めるため、全体としての一貫性が欠けることを指します。

国土交通省が推進する「コンパクトシティー」構想は、人口減少や少子高齢化に対応するために、都市の中心部に住宅や商業施設、行政機関などを集積させ、効率的な都市機能を実現しようとするものです。

一方、経済産業省が進める郊外の大規模商業施設の開発は、消費者の利便性を追求し、経済活動を活発化させるための政策です。

これらの政策は、青森市のまちづくりにおいて、都市の中心部と郊外とで人口や商業活動が分散してしまうという問題を引き起こし、都市の中心部が過疎化し郊外が過密化するという現象を生じさせ、都市全体としてのバランスが崩れる結果を招きました。

街づくりの立て直しと市民の反応

コンパクトシティー失敗の烙印を押された青森市ではその後、アウガ周辺だけでなく、郊外にある複数の拠点に住宅地や商業地などを誘導する多極的な「立地適正化計画」をつくり、街の立て直しを図っています。

用途地域など既存の都市計画制度と組み合わせて一定の人口密度を維持していく「居住誘導区域」と、その居住誘導区域の中でも特にまち全体として必要な機能の維持と新規立地を促す「都市機能誘導区域」を定め、都市機能の立地をコントロールしながら、人口減少社会にあっても住みよいまちづくりの形成に努めるものです。

こうした青森市の新しい街づくり構想に対し、一部の市民から懐疑的が意見もあるようです。新しい施設ができ、新型コロナウイルスの終息後やインバウンド需要で賑わいが増えているかもしれないとの意見もありますが、期待したほどではないとの声もあります。

また、中心地開発は一度お金を投入してしまえば途中ではやめられないとの意見もあり、かつてのアウガのようにいつまで続くのかという疑問の声も上がっています。

青森市の新たな街づくりはどのように進むのでしょう。注目したいと思います。

 

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